SNSも(辞書と同様に)目的を持つべき

あるデンマークの言語学者に言わせるなら、(文字で記述される)辞書というものは、明確な目的を持っていなければならない (そうでなければ、辞書という道具を明確な目的に従って使おうとするユーザーの目的を満たすことができない価値のないもの、ということになるので)。

同様の論法によれば、文字や画像、あるいは映像情報を用いて人間同士のコミュニケーションを図るところに成立するSNSもまた、明確な目的を持っていなければならない(持つべきだ)ということになるかもしれない。

個人的には、心的丁抹人の徳さんはその考え方に全く同感だが、同時にこのことは、(その人が)個人と社会やコミュニティーとの関係を、どのように認識・理解しているかに依存している (日本人の多くはこれまで長年にわたって、そのようなこと…強いて言えば公共性…を意識しないような社会に生きてきた)。

けれども、IT化されたグローバルな社会におけ個人と社会との関係は、否応なしにそのような個人の意識そのものの在り方を問うものになっている。そして、その問そのものが、主として文字によって行われるのだから、その問が意味を持つか否かは、文字自身が内包する目的意識、ないしは道具性に依存する。

この点でまさに、日本語という言語の道具としての脆弱性が一気に暴露されるのであるが、その一方でまた、多くの(特に若い世代の)日本人が文字に依存しない言語、あるいはヴィジュアルな記号による(論理的ではなく)感覚的なコミュニケーションに長けてきている、ということも確かである。

心的丁抹人の徳さんの関心事は、この感覚的なものと社会的なものとの間に、どのように橋を架けるか、ということなのである。

https://tidsskrift.dk/lexn/article/view/18581/16249
Henning Bergenholtz と Vibeke Vrang による、”Den Danske Ordbog” (København: Det Danske Sprog- og Litteraturselskab / Gyldendal 2005) のレビュー:
Den Danske Ordbog: en ordbog for lingvister!. LexicoNordica, (13).