1982年頃ではなかったかと思う。妹の彫金の先生で芸大出身のIさんがコペンハーゲンへ来られ、カトラリーなどを販売しているインテリアの店や、工芸博物館 Kunstindustrimuseet へご案内したことがある。(この博物館は、今では デザイン美術館 と呼ばれている。)
デンマークに住むようになって十余年経っていたが、この博物館を訪れるのは初めてだった。何の予習もしていなかったので、そこにあった日本刀の鍔(つば)の大規模なコレクションに出逢い驚いた。明治半ばから日本に滞在したデンマークの医師、フーゴー・ハルバースタット Hugo Halberstadt が収集したもので、1700点近い世界有数のものだという。
何が凄いかと言うと、直径数センチの限られた面の中で繰り広げられる際限なく多様な意匠。日本人がこれほどまでに豊かな想像力を持っていたということに驚かされた。私自身、多少はデザインに関わる仕事をしていたので衝撃を受けたが、彫金がご専門のIさんにとっては、これはもう本当に晴天の霹靂(へきれき)だったのだろう。帰国後しばらくの間、会う人ごとにこの話をしておられたと後日聞いた。
私にとってもう一つの大きな発見、それはいわゆる「抽象的」デザインなどと言うものは、20世紀の発明でも何でもなく江戸時代から存在していたということである。いやそれだけでなく、有史以前から有った。
西洋美術史が教える進化発達の概念が崩壊する。「抽象画」が20世紀初頭の発明であるかのように言われるのはなぜか。西洋絵画では、ルネサンスから19世紀に向けて写実というものが技術的に発達し、それが終わってまもなく、突然抽象が隆盛を迎えるようになったという歴史があった(そのように認識される)からなのだろう。最近そう思えてならない。
そもそも、北斎、歌麿、写楽など皆、写実からはかなりかけ離れているわけだし、特に北斎は、極論ではあるがその抽象性ゆえにヨーロッパで注目されたと言えないでもない。(デフォルメと抽象との間に明確な線引きなどできないという意味において。)かつてヨーロッパ人がプリミティヴ・アートと呼んだ、アフリカ、その他の(音楽も含め)エスニックな芸術等も、同じような観点から認識し直すことができる。